昔、ジンザイ(人材)の意味を漢字の書き方で考えるなんてことが流行っていました(?)。「社員もいろいろでさ・・」の文脈です。標準的な能力の従業員を「人材」として、より能力の高い社員が「人財」。やや劣る「人在」に加えて、問題のある社員には「人罪」の字を当てていたわけです。こんな感じ。
「人財」 彼は、まさにウチのホープだ。宝もの。大切にしたい。
「人材」 うん、彼ね。将来に期待ってとこかな。
「人在」 まあ、頭数としては存在してるね(笑)。
「人罪」 あれか・・・・・
いろいろいるから、それぞれに対応という話がこれに続きます。いろいろといってもダイバーシティのように受け入れるという考えでなく、できれば、このグループの方にはご遠慮いただきたいという願いを込めた口調。まあ、まれに教育の話になることもあったかもしれません。
ところが最近では、会社の従業員・求職者への向き合い方を表す言葉のように使われています。
わが社では、人財の成長活躍を支援するために・・・
すべての人をそう扱ってますよ、的な香りで求人サイトに輝きます。全員同じ扱いというところがポイントに感じます。当然、「人在」や「人罪」などの当て字を目にすることはありません。存在が罪であるような従業員については、また別の機会にして、今回は「人財」ブームについて考えます。求人案内のサイトに「人財」があふれすぎていて、正直うんざりなのです。
企業は人で成り立つ。これは間違いないでしょう。ヒト・モノ・カネ・情報のなかで、他の資源をコントロールできるのはヒトだけです。生涯雇用が多いことを前提として一人の従業員の生涯にかかるコストを考えると、とても大きな投資案件であることは明らかです。大事に思わなければ・・。そのことに全く異論はありません。
しかし、「財」ではないと思うのです。「財」という言葉には外部から規定されるものというイメージがあります。経済学ではなんらかの効用のあるものを「財」といいます。効用に対する需要でその価値が決まり、金銭と交換されるもののことです。
「人財」と書く会社は、ヒトは高い価値があるからと「財宝」の文字を当てたのでしょう。では、代表的な財宝である宝石について考えてみましょう。
宝石も元々は石。山から掘り出すもの。掘り出したその場で、この石はダイヤモンドだから、こっちはただの石ころだからと、振り分けられます。(多分、きっと)
「人財」の文字には、このように外部的に価値を決定し値踏みする様子が感じられます。宝石は値踏みされる側、価値を決定するのは採掘業者です。「人財」と書くことで、ヒトは受け身な存在として扱われ、モノ・カネ・情報と同じ位置にまで引き下げられます。
やはり、ヒトは「人材」として捉えたほうが良いのではないでしょうか。調理人の腕によって食材が想像もしなかったような変化を遂げるように、「材」には大きな可能性が感じられます。素材であるダイヤの原石は大きな可能性を秘めていますが、研磨したダイヤの宝石の価値は、以後それほど変化しません。「財」の字には成長の可能性が感じられないのです。
ただの石ころの中からレアメタルを発見するのは、「財」を扱う宝石商人ではなく「素材」の研究者でしょう。この二人の違う点は、目の前の石への興味・探究心・可能性を信じる力の強さ。石ころよりはるかに高い投資なのだから、企業は素材研究者のような態度で人材に接するべきです。
「人財」と表記するのはリクルート目的のことが多いでしょうが、そんなうわべだけの言葉にだまされる学生が欲しいですか?
もっとも、多くの企業が「人財」ブームにのっている現在、だまされる学生も多くはないでしょうけれど。
ごめんなさい。実は大学の講義で就活生に向けて、こんな話をすることもあるのです。
「看板だけきれいで人を大切にしない企業は、残念ながら存在する。【人財】と書いている会社なんか、まず疑ってかかったほうが良いかもね」
人材育成・社員教育。枠組みからお手伝いいたします。
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